その情熱、実現させよう。



SPECIAL対談 サッカーを通じて考える「夢」、そしてさまざまなこと 国際主審・本校OB 西村 雄一氏×日本工学院専門学校 学校長 千葉 茂

vol.1 世界のピッチにつながったさまざまな出会いと経験

2010年の夏、日本中、いや世界中が大きな声援とともに夢中になった「2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会」。そのワールドカップで日本代表の大活躍とともに注目を集めたのは、主審として選出され、決勝で第4審判を務められた国際主審の西村雄一さんです。日本人では史上初というだけでなく、その見事なジャッジが、世界各国から多くの賞賛を集めたのは皆さんもご存知でしょう。
実は西村さんは本校・日本工学院専門学校(旧名:日本電子工学院)の卒業生。今回、「TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップUAE 2010」の決勝で主審を務め帰国したばかりの西村さんが、お忙しい中、出身校である日本工学院専門学校を訪問してくださいました。※本文中敬称略

学校長
:ようこそいらっしゃいました。久しぶりの日本工学院はいかがですか?
西村
:いやぁ、学校も街もとても変わりましたね。びっくりしました。私がいた頃は、あの辺りに就職科があって…。(窓の外に広がる新キャンパスを眺めながら、記憶を辿る西村さん)
学校長
:今年は(インタビューは2010年の12月23日に行われました)ワールドカップ決勝戦の第4審判という大舞台を務められ、そして続くクラブワールドカップでも決勝戦の主審と、大活躍の一年でしたね。クラブワールドカップの行われたアブダビからは一昨日帰ってらしたということですが、まだ、興奮冷めやらぬという感じですか?
西村
:いえ、今はもう次の試合に向かって準備をしなければいけませんので、気持ちは切り替わっています。常に一つの試合が終わると、次の試合に向けてベストを尽くすためのモードに入るんです。
学校長
:日本人が初めて決勝戦のピッチに立ったということで、ワールドカップでは大変話題になりましたね。私ももちろんテレビでしっかりと拝見しました。そして試合が終わって30分くらい経ったころ、西村さんにメールを差し上げたんです。本校の卒業生である西村さんのご活躍、大変名誉なことだとメールでお伝えしたくて。
西村
:ありがとうございます。
学校長
:ところで、西村さんはいつ頃からサッカーをやっていらしたんですか?
西村
:サッカーは幼稚園の頃からずっと継続してやっていました。駒沢サッカークラブという地域に根ざしたクラブチームで活動し、そこで育ってきたんです。
学校長
:では本校に通われている時もクラブでサッカーに関わられていたんですね。
西村
:はい。その頃にはコーチングスタッフとして少年チームを教えたり、審判資格を取って審判活動をしたりしていました。高校時代までは選手としてプレイしたんですが、高校を卒業して指導に関わるようになってから考え方が変わってきたんです。審判というものにとても興味が湧いて、自分の中での比重が選手として活躍するよりも大きくなっていったんです。
学校長
:西村さんが本校で学んでいたのは情報処理科ですね。当時はまだ、日本工学院が旧名・日本電子工学院だった頃で、スポーツカレッジもサッカーコースもなかった時代ですが、どういった経緯で本校を選ばれたんですか?
西村
:私はもともと機械いじりが好きだったんです。それに私が高校を卒業した頃は、ちょうどパソコンが普及し始めた時代で。ですからこれからの時代、仕事をしていくにはしっかりとパソコンのことを勉強しなければいけないなと思い、日本工学院の情報処理科を選んだんです。
学校長
:当時、どのような学生生活だったんですか?
西村
:それほど真面目な学生じゃなかったですが、やる時はやるっていう学生だったと思います。授業はけっこう厳しかったですからね。特にお世話になったのは杉山先生ですね。杉山先生は私に論理的思考を植え付けてくれた恩師です。あと、日本工学院時代の友人ともまだ付き合いがありますよ。とても良い仲間たちですね。
学校長
:勉強もキャンパスライフも充実していたようですね。そして卒業後はオフィス機器を扱う「ボナファイド」へ就職して営業職でご活躍されて。
西村
:情報処理科で二年間勉強する中で、自分の興味の対象が、そのパソコン自体よりも、そのパソコンを使う側の「人間」に向いている事に気づいてしまったんです。それで、自分には営業という職種が向いているのではと思いはじめて。パソコンについてはこちらで二年間しっかりと学んで自信ありましたから、その知識を生かしてパソコンの良さをお客さまに提案する側になろうと。そしてサッカーに関わり続けていくためには、土日は仕事が休みで地方転勤のない都内の職場が良いと思い、その条件を就職科で伝えて紹介していただいたのがボナファイドでした。
学校長
:10年間も、営業のお仕事とサッカー審判員という二足のわらじを履いていらしたんですね。
西村
:ええ。ボナファイトで勤続10年目の時、サッカー協会からプロ契約の誘いがありました。まだプロの制度ができて間もなくて、かなり迷いましたね。そんな時、ボナファイトの社長に「人生、一度くらい勝負する時があるんじゃないか」と言われて。その社長の言葉に背中を押していただいたんです。
学校長
:良い出会いに恵まれていますね。そのような素晴らしい出会いや様々な経験が、今の西村さんの基礎となっているんですね。
西村
:日本工学院で学んだことも、営業で学んだこともですね。
学校長
:今、こうして国際審判として活躍される中で、本校で学んだ事が何か活かされていますか?
西村
:とても活きてますよ。それは情報処理科で教わったフローチャートです。フローチャートというのは始まりと結果がまずあって、その始まりからどういう過程をへて結果にたどり着くかというのを、組み立てていく考え方ですね。営業の仕事をしていた時もそうですし、審判になってからも、いつも私はそのフローチャートを頭に描いて、全体を俯瞰的に見つめ、考えながら物事を進めています。どんなことでもいきなり結果にはつながりません。その過程を考えていく事で、自分をちゃんとコントロールする事につながるんだと思います。
学校長
:なるほど、それは、私たちのような教育者にとっても必要なことですね。結果だけを見据えて闇雲に進むのでなく、全体を見通せる考え方の設計図を書き、構造的に物事を考えるということですね。
西村
:まさにその通りです。あの頃、日本工学院で学んだことを、今、世界のピッチの上でもしっかりと活用していますよ(笑)。

〈次回 Vol.2「ジャッジとは"自分を信じ、勇気を持って決断を下す"こと」に続く〉

コラム「西村主審に聞く“ワールドカップの秘密”」

Q:ワールドカップの決勝戦を担当する審判はどのようにして決まるのですか?
当然ですが、決勝で戦うチームと同じ国の審判員は選ばれません。ですから、今回も決勝で戦うのがアジアのチームではなかったことが、私が選ばれた理由の一つだと思います。あとは、準決勝と連続して審判することもありません。FIFAがニュートラル性を非常に重視した中で選んでいくんです。試合の勝敗によって担当する試合が左右されてくるので、直前まで担当するかどうかはわからないんです。

西村雄一氏 プロフィール

  • 1994年 日本工学院専門学校(旧 日本電子工学院専門学校)卒業
  • 2004年 国際審判員(主審)登録
  • 2010年 FIFAワールドカップ(南アフリカ)決勝
  • FIFAクラブワールドカップ決勝
  • 国際Aマッチ 32試合、国際試合総数 121試合
  • J1総試合数<主審>136、J2総試合数<主審>54
  • 2007年 キャプテン賞、2009年 Jリーグ優秀主審賞を受賞、
  • 2010年 Jリーグ優秀審判賞、2011年日本サッカー協会会長賞
  • (2011年1月31日現在)

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SPECIAL対談 サッカーを通じて考える「夢」 国際主審・本校OB 西村 雄一氏×日本工学院専門学校 学校長 千葉 茂
vol.1 世界のピッチにつながったさまざまな出会いと経験
vol.2 ジャッジとは「自分を信じ、勇気を持って決断を下す」こと
vol.3 夢を見つけるということ、夢を叶えるということ