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放送芸術科 NEWS & TOPICS

映画・放送(テレビ)分野のクリエイターを育成する映画・放送(テレビ)専門学校。

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映画監督 平川雄一朗氏による特別講義を開催

2022年10月17日
蒲田校

映画監督 平川雄一朗氏による特別講義

生意気と思われてもいい。
自分に正直に、思いを発信し続けてください。

日本工学院放送芸術科OBである平川雄一朗氏の11作目の映画監督作品『耳をすませば』の公開を記念して、9月27日(火)に日本工学院専門学校(蒲田校)で、9月29日(木)に日本工学院八王子専門学校で特別講義が行われました。進行役の質問に答える形式で、『耳をすませば』の制作秘話や、日本工学院を卒業してから現在までの歩みについて話していただきました。


『耳をすませば』制作秘話・舞台裏

コロナ禍の影響で、制作期間は異例の2年間に。
数々の苦難を乗り越えて、作品が完成!

ー平川監督はどのような経緯でこの映画を監督することになったのですか。

『耳をすませば』は、1989年に少女まんが雑誌『りぼん』で連載され、1995年にはスタジオジブリによるアニメーション映画が公開された不朽の名作です。今回の実写映画では、原作の世界観を忠実に再現しながら、10年後のオリジナルストーリーを加えています。2020年に映画『記憶屋 あなたを忘れない』を制作していた頃、同映画のプロデューサーから『耳をすませば』の10年後を描きたいと言われ、僕が脚本と監督を担当することになったんです。

講義を行う平川氏

ーコロナ禍の影響で、制作期間が2年に及んだそうですね。普通はどれくらいの期間で映画を制作するのですか。

通常は、キャストやスタッフを集めたり、衣装や機材を用意する事前準備に1〜2カ月。撮影、編集、整音(音声を整える編集)にそれぞれ約1カ月。合わせて4〜6カ月かかります。
この映画では、主人公がイタリアに渡ってチェロ奏者になる役なので、当初はイタリアロケを予定していたんです。でも、コロナ禍で行けず、イタリアとオンラインで結んでリモート撮影(イタリアにいるカメラマンにリアルタイムで撮影指示を出し、送られてきた映像を日本で撮った映像と合成)を行いました。途中で制作のストップもあり、スタッフ・キャスト全員が集まって撮影できたのは4期に及び、完成まで2年間もかかったんです。

ーキャストの方々も2年間、同じ役柄のモチベーションを保ち続けるのは大変だったでしょうね。

講義を聞き入る学生たち

W主演の清野菜名さん(月島雫役)は、他の作品にも出演しながら、2年間ずっと頭の片隅に月島雫がいたって言っていました。松坂桃李くん(天沢聖司役)も同時期に別の映画に出演していて、そっちの作品では激ヤセしているんですよ。役ってやっぱり自分の中に取り込んで、その人格と向き合わないといけないから、苦しい作業だったんじゃないかなと想像しますね。この映画は準備期間が短く、チェロの練習期間も1カ月ぐらいしかなかったのに、彼はしっかり習得していて、プロの覚悟というか意識の高さに改めて感心しました。

ーこの作品は現代ではなく、1998年という時代設定で描かれています。平川監督は過去にも『JIN-仁-』という作品で江戸時代を描いていますが、どのようにして作り上げるのですか。

やはり美術スタッフの力が大きいですね。美術スタッフの人数が多ければ多いほど、細部にこだわって物を作れますから。
また、演出部(助監督やAD)を中心としたスタッフの力も大きいです。映画の制作現場では、セットが立った時点で撮影前にみんなでセットの下見をやるんですね。演出部を中心にカメラマンや照明・録音スタッフも交えて、「ここにこれがあると変じゃないか」「ここはこうなっているべきじゃないか」ということをみんなで率直に話し合う。みんなで一緒に空間を作っていく感じなんですよ。そんなところにも、映画が総合芸術と言われる一端が表れていると思います。

日本工学院の学生から演出家・映画監督になるまでの歩み

謙虚さや感謝の心を大事に、全力で仕事に取り組む。
やり切れば、次への道が必ず開けてきます。

ー日本工学院の在学中はどんな学生だったのですか。

僕は脚本を書きたくて放送芸術科に入学したんですけど、まじめな学生ではなかったですね(笑)。2年間、学生寮に住んでいて、アルバイトばかりやっていました。だけど、みんなで映像作品をつくる授業は楽しくて、卒業したらものを作る仕事に就きたいと考えていました。それで就職が具体的になったとき、僕はドラマが好きだったので、先生に「ドラマの制作会社を教えてください」と言って、(株)泉放送制作に入社したんです。

ー入社後はどんな仕事をされていたのですか。

泉放送制作では9年間、AD(アシスタントディレクター)として働きました。ADはチーフ、セカンド、サード、フォースの4段階に分かれているんですが、フォースADからスタートして、入社5年目に担当したTBSドラマ『不機嫌な果実』でチーフADになりました。チーフADは監督の右腕になって現場の制作を進める人、セカンドADはエキストラを集めたり衣装を確認する人、サードADは美術スタッフ担当、フォースADはいわゆる雑用係です。そして、チーフADになった3年後に演出家としてデビューしたんです。

講義を聞き入る学生たち

ーどういう経緯でADから演出家になれたのですか。

フォースADをやっていた頃から、よく意見していたんです。「僕はこのシーンはこう思っていましたけど、これでいいんでしょうか」とか。自分ではそれが当然だと思っていましたけど、生意気だと思う人もいたと思いますよ。でも、発信力とか「生意気力」って絶対あった方がいいと思います。声を出さなければ、そこに自分がいることに誰も気づかないから。僕の場合はそれを前向きな姿勢と捉えてくれる人がいて、演出家に抜擢されたんですが、みなさんも目立つことを怖れず、どんどん思ったことを発信していってくださいね。

ー平川監督はその後、現在のオフィスクレッシェンドに移籍されて、演出家として活躍されるわけですね。

演出家(ディレクター)も段階制なんですよ。TVドラマの場合、チーフ、セカンド、サードの3人のディレクターで回すのが基本になっています。一週間ごとに作品を上げないといけないから、1人のディレクターだけでは無理なんですね。それで、2003年の『Stand Up!!』でサードディレクターになり、3年後の『白夜行』で初めてチーフディレクターを務めることになりました。

特別講義風景

『白夜行』の制作は苦しかったですね。TBSの石丸彰彦さんがプロデューサーで僕より3歳下なんですね。彼が新入社員の頃、僕がADを担当していたドラマで出会って「俺たちはこうなろう」って熱く語り合っていました。そんな仲でしたが、ダメ出しの連発で追い込まれて。でも、妥協せずに制作に取り組んだからこそ、翌年に映画監督デビューすることにつながった。『白夜行』を観ていた博報堂プロデューサーの春名慶さんが、「映画を撮ってみませんか」と声をかけてくださったんです。

ー平川監督は現在では脚本も手がけられていますよね。脚本を書くきっかけは何だったのですか。

脚本は最初の原稿がそのまま決定稿になるわけでなく、「本読み」という企画会議で、プロデューサーやスポンサーなどの意見をすり合わせて決まります。当然、監督は脚本の意図を把握し、それをスタッフ全員に伝えるわけですが、意図がよくわからないことも結構あるんですよ。そういうことが何回かあって、自分も元々脚本を書きたかったし、2012年の映画『ツナグ』で初めて監督と脚本を兼務しました。その映画に出演していた樹木希林さんに「これからも脚本を書いた方がいいよ」という言葉をいただいて。今回の『耳をすませば』でも脚本を書かせてもらっています。

壇上の平川監督

ーこれまで仕事をされてきて、役者さんやスタッフの方との関係をどのように築いてこられたのですか。

日本工学院を卒業してADを始めた頃、ドラマでダウンタウンの浜田雅功さんや福山雅治さんと出会いました。他にも木村拓哉さんや綾瀬はるかさんなど、これまでに何度も一緒に仕事をしています。いまも第一線で活躍されているみなさんに共通していることは、一度会ったスタッフをよく覚えていること。みなさん謙虚なんですよ。キャストだけじゃなく、石丸彰彦プロデューサーや春名慶プロデューサーとも何度も一緒に仕事をして思うのは、素直さ、謙虚さ、そして感謝の気持ちが大切だということです。地に足をつけて目の前の仕事に一生懸命取り組めば、人の縁や関係性も深まっていくように思います。今日、みなさんと会ったのも何かの縁かもしれません。いま映像業界は人材が不足しているので、やる気さえあれば活躍できるチャンスはいっぱいあります。それぞれの夢に向かって、ぜひがんばってください。いつか、映像制作の現場でみなさんとお会いできる日を楽しみにしています。

平川雄一朗監督

特別講義を終えたばかりの平川雄一朗監督に、学生時代の想い出や映像業界をめざす若者たちへのメッセージを語っていただきました。

エンタメは、人が生きるための重要なファクター。
大勢の人のために良い作品をつくってください。

ー映像制作の仕事の面白さや醍醐味について教えてください。

映像制作の現場では、毎日違う何かが起こるんですね。その変化を受け取りながら日々生活すること自体、とても面白いです。
醍醐味は、自分がつくった作品をたくさんの人に観てもらい、心を動かしてもらえることですね。僕は九州出身なので、遠くにいる家族や友だちに、自分が元気でやっていることを作品を通して伝えられることもうれしいです。

ー学生時代にやっておけば良かったと思うことはありますか。

映画館に足を運んで、もっと映画を観ておけばよかったと思いますね。本もたくさん読んでおけばよかった、いろんな文化に触れておけばよかったと、後悔することはいろいろあります。当時はアルバイトに精を出し、お金にもなったし、社会勉強にもなったけど、もっと文化に触れていたら違っていたんじゃないかと思います。

ー学生時代の経験で今も役立っていることは何ですか。

当時は演出という仕事の中身も知らなくて、プロデューサーやディレクターが具体的に何をやっている人かも知りませんでした。ただ単純に、ものを作りたい、脚本を書きたいという思いだけあったんです。
そんな中、みんなで映像作品をつくる授業が在学中に4回ぐらいありまして。それはすごく良い経験でした。僕が脚本を書いたラジオドラマをみんなで作り、それを聴いた田舎の友だちが泣いてくれてね。身近な人が感動してくれることがうれしかったし、それが社会に大きく広がっていったらいいなと思いましたね。

インタビューに答える平川監督

ー映像業界のクリエイターをめざす若者にメッセージをお願いします。

古い映像作品の中にも良いものはいっぱいあるので、作品をたくさん観て、そこから新しいものを生み出せる人になってほしいですね。今回、『耳をすませば』の制作中にコロナ禍を経験し、すべてが止まってしまったとき、人を楽しませたり感動させるエンターテイメントって、生きていく上で重要なファクターなんじゃないかと改めて思いました。だから、みなさんにもこの仕事の醍醐味を感じてほしいし、たくさんの人のために良い作品をつくってほしいと思います。

平川雄一朗監督 プロフィール

映画監督/テレビディレクター
1972年、熊本県生まれ。大分県育ち。日本工学院クリエイターズカレッジ放送芸術科を卒業後、(株)泉放送制作を経て、(株)オフィスクレッシェンドに入社。主な作品は、映画『約束のネバーランド』『記憶屋あなたを忘れない』『春待つ僕ら』『僕だけがいない街』『想いのこし』『ツナグ』『ROOKIES-卒業-』『陰日向に咲く』、ドラマ『天国と地獄〜サイコな2人』『集団左遷!!』『義母と娘のブルース』『わたしを離さないで』『天皇の料理番』『とんび』『JIN-仁-』など。2022年10月に11作目となる映画監督作品『耳をすませば』公開。


◎放送芸術科
https://www.neec.ac.jp/department/creators/screen/

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