日本工学院デザインカレッジのプロダクトデザイン科では、業界の第一線で活躍されているデザイナーの方々を講師に迎え、特別授業を行っています。40年にわたって海外でマーデザイナーとしての実績を重ね、現在は、ドイツの自動車会社BMW本社のデザイン部門でエクステリア・クリエイティブ・ディレクターを務める永島譲二先生も、その一人です。
今回、特別授業を終えた永島先生に、カーデザイナーになるまでの経緯や、デザイナーに求められる資質についてお話ししていただきました。
小さい頃から自動車が大好きだったので、自動車以外のデザイナーになるつもりはありませんでした。中学生になって、自動車業界で自分ができることは何だろう?と考えた時に、エンジニアリングよりもデザインに興味を感じたんです。1970年当時の自動車デザインは、とてもエキサイティングでした。イタリア・未来派のデザインに刺激を受けた私は、自分でもデザインを手がけたいと思い、中学3年生の時にカーグラフック誌が100号記念事業として開催したデザインコンペに応募しました。それが自動車デザイナーへの第一歩です。
その後、美術大学を卒業した私は、アメリカのデトロイトに住む叔母の家を訪ねました。留学のためではありませんでしたが、語学力を試すつもりで大学の試験を受けたら合格したので、入学してデザインを学ぶことにしたのです。私は海外で自動車デザイナーとして仕事をしたいと思っていましたが、アメリカでは日本のように企業からの募集はありません。自分で動いてチャンスをつかまなければ、就職できないのです。私は、大学に講師として来ていたGM(ゼネラルモーターズ)のデザイナーの方と話しをして、誰がキーマンなのかを聞いて、会いに行きました。その結果、GMに入社することになり、その当時GMの子会社だったドイツのオペルへの配属を希望したのです。
ヨーロッパの自動車メーカーで働きたいと思った理由は、自動車デザインの本場だからです。これは、生産規模やデザインの優劣に関わりなく歴史的に動かしがたい事実で、伝統芸能である尺八の本場が日本なのと同じだと考えてください。
私がデザイナーとして仕事を始めた1980年代の初めは、ヨーロッパの自動車メーカーはどこも国際化が進んでいて、さまざまな人種、国籍の人々が働いていました。だから日本人であることのハンディキャップを感じたことはありません。自動車のデザインはコンペで決まるため、最終的に選ばれなければ、そこでプロジェクトは終了です。チームで役割分担することはなく、一人でプロポーザル(企画・提案)の全てを行うため、自由度が高いかわりに、苦労することもたくさんあります。だからこそ、デザインを決定する過程でプロポーザルが減っていき、最後に自分の案が残った時は本当にうれしい。金メダルを獲れなければ、後は全部ゴミと同じという厳しい勝負の世界なんです。
その後、私は1986年にフランスのルノーに転職しました。ヨーロッパは個人主義なので、個性を大切にします。特にフランスのデザイナーは芸術家の集まりなのでチームワークもないし、誰も上司の言うことなんか聞きません。日本人から見たら想像を絶するフランスの職場環境ですが、私も自分勝手なタイプなので、それが合っていたのだと思います。フランスに住んで思ったのは、とても洗練された都会的な文化が隅々まで浸透していること。高速道路のトンネルについている照明の光まで柔らかくて洒落ています。あらゆるところで文化の厚さを感じました。
自動車デザイナーの視点から日本のデザインを見て思うのは、ブランドアイデンティティの弱さです。ヨーロッパの自動車は、遠目に見てもBMWやフォルクスワーゲンだとわかります。日本車にも良いデザインはありますが、どこのメーカーの車なのか見分けがつきません。これは、デザイナーがみんな似たような暮らしをしている証拠でもあります。ルノーで働いているときに、日本とライフスタイルがあまりにも違うのを知って驚きました。彼らには当たり前のことも、日本人から見ると個性的で、文化の違いを感じました。日本ではデザイナーも制服を着る会社もありますが、もっとデザイナーの個性を尊重すべきです。
価格の高いドイツ車が世界中で売れているのは、ブランドアイデンティティを確立して、その価値を認められているからにほかなりません。もちろん、日本が得意としてきた安価で高品質な大量生産品も世の中には必要です。でも、将来的に中国などがその役割を担うようになったら、日本はどうなるのでしょうか。小手先の工夫でブランドアイデンティティを創ることはできません。ブランドアイデンティティをいかに獲得するべきかが、これからのデザインにおいて大きな課題になるでしょう。
プロダクトデザイン科特別授業で指導する永島先生。
これからデザイナーとして社会に出る人たちに言っておきたいのは、自分の強みを見つけて、それを失わないようにしてほしいことです。今日の授業では、学生たちがデザインしたドローンを講評しましたが、とても面白い発想をした女性の作品がありました。男性はメカニカルな常識の範囲で考えますが、そこに縛られない自由なデザインがとても良かった。ただ、仕事としてそのデザインをお客様に提案したら、その面白さは矯正されてしまうでしょう。でも、それは失ってはいけないものなんです。自分の個性を、得意なことを大切にしてください。
もう一つはデザインの世界に限らず、今の若い人たちは内向きにならずに、もう少し世界を見るべきだと思います。日本だけで完結しないように、海外に行って現地の人たちと交流してほしい。インターネットで世界中の情報が手に入るからといって、本当に世界を知ったことにはなりません。グーグルのストリートビューでパリの街は見られるけど、現地に行けば全然違うことに気付くはずです。
デザインの優劣は、つまるところセンスで決まります。そのセンスを磨くには、感性だけでなく観察力や分析力も必要なのです。
プロダクトデザイン科特別授業で指導する永島先生。
これからの自動車業界は、EV(電気自動車)化と、その先の自動運転化に向けて大きく変化していくでしょう。その時にデザインがどういう方向に進むのか、明確な答えはありません。もし、自動運転化が実現してどの車も手放して運転できるようになったら、ドライバーの運転性能や操作性は考慮しなくていいことになります。それが、どんな変革をもたらすのか、まだ誰も想像できないのです。
ただ、こうした先進のテクノロジーは目に見えません。腕時計が手巻きからクォーツに代わっても外からは判別できないように、あるレベルを超える技術革新について、人は意識しないのです。私は自動運転化によりさまざまな制約が無くなることで、逆にデザインの重要性が増すと考えています。機能や品質が違わなければ、デザインで差別化するしかありません。どんな分野においても、未来はデザインを必要としているのです。
プロフィール
永島 譲二先生
現BMW AG(ドイツ本社) デザイン部門 エクステリア・クリエイティブ・ディレクター。
日本国内および米国の芸術大学で工業デザインを学んだ後、オペル(独)、ルノー(仏)でカーデザイナーとして活躍。
1988年 BMW(独)に移り、「Z3ロードスター」「5シリーズ」「3シリーズ」「コンセプトモデル」など数々の主要モデルのエクステリアデザインを担当。
現在、同社カーデザインの総合的なディレクションを行っている。
東京工科大学 デザイン学部 客員教授。
日本工学院専門学校、日本工学院八王子専門学校 特別講師。
グローバルな価値観を持ち、40年にわたって海外で自動車デザイナーとして活躍されている永島先生の特別授業は、学生に大きな刺激を与えてくださいます。先生がお話しされた通り、日本の産業がグローバル化していく中で、デザイナーとして活躍するためには、コミュニケーション能力はとても大事です。海外の若者が16歳ぐらいで大人と対等に意見を言い合える教育を受けているのに対して、日本では空気を読んで意見を表に出さないことが良いとされる傾向があります。しかし、それでは海外どころか、日本での活躍も難しいでしょう。
特別授業の中で、自分の作品を世界の最先端で仕事をしているデザイナーの先生に評価してもらうのは、とても勇気のいることです。でも、その経験を通じて、デザインを武器にして誰とでもコミュニケーションがとれる人に育ってほしい。それは、永島先生が授業にかける想いであり、プロダクトデザイン科がめざす目標でもあります。
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